西関東支店 [ 圓福寺墓苑 ] 霊園四季便り詳細
【圓福寺墓苑】=圓福寺様の薬師堂と三重塔= 2021年5月21日
圓福寺墓苑(東京都清瀬市)、圓福寺様は江戸時代初期に開山されたとみられる曹洞宗のお寺様です。
圓福寺様の境内に面した崖の上に、【薬師堂】を構えています。
この薬師堂の由来は、圓福寺様よりも古い可能性があるそうです。圓福寺門前には、かつて福泉寺という寺があったとみられており、同寺と薬師堂が一体のものだった可能性が指摘されています。
薬師堂に納められている薬師如来坐像は、光背を含めると2メートルを超えるという規模で、日光菩薩立像、月光菩薩立像を脇に侍らせ、さらに十二神将を従えています。
非常に造りに熱があり、当時の信仰の深さや、お寺様の力を感じます。
圓福寺住職が寛保3年(1743年)に残した記録では、十二神将は平安後期の仏師定朝によって造立されたもので、寛保3年の頃にはにかわや漆がはがれ、薬師如来に至っては台座だけになっていた、と記されています。寄木造を完成したとも評される著名な定朝の作とはなかなか信じられませんが(実際、確証はない)、いずれにせよ、その様式から室町時代以前の作であることは確かなようで、その観点からも、圓福寺が開かれる以前から薬師堂はあったものと考えられています。圓福寺の本尊・釈迦坐像は運慶の作ともいわれていますが、これも伝承の域を出ないようです。薬師如来坐像、日光菩薩立像、月光菩薩立像、十二神将は、いずれも《清瀬市指定有形文化財》になっています。
【タウン通信 円福寺(清瀬)記事引用】
関山400年を記念して建てられたという三重塔です。
削られたばかりの木目の美しいこの【三重塔】は、ともすると何百年も風雨にさらされた塔こそ価値があると思いがちな私たちに、今ある信仰の重みを気付かせます。平成3年から5年までの賽銭を活用して建立したという白山妙理大権現の鞘堂にも興味を引かれます。その「案内」によると、白山妙理大権現は本地垂迹に従って日本の仏教に取り入れられた神様のこと。清瀬市野塩から東村山市久米川の地域では、葬儀から四十九日間は神様に近づけないという習俗があり、その喪の期間にどうしてもお祝いの席などに出席する場合、白山妙理大権現に詣でてお払いをしたとのことです。
【タウン通信 円福寺(清瀬)記事引用】
=《琵琶懸の松》伝説=
この薬師堂にまつわる伝説をご紹介します。
昔、ある目の不自由な琵琶法師が、ご利益のある薬師様にすがりたいと何日も堂にこもって「目が見えるように」と願いました。
満願の日。
こわごわ目を開けてみると、なんと、薬師様の姿がはっきりと見えて......。
夢かと思った法師は堂を飛び出し、境内に立ちました。そこで見えたのは、松の葉の緑でした。
法師は、うれしさのあまり、生きる糧だったはずの琵琶を松にかけたまま、旅立ってしまいました。
以来、人々はこの松を「琵琶懸けの松」と呼ぶようになったとのことです。
----と、こんな伝説ですが、薬師信仰がいかに広まっていたかを示すような話です。
薬師堂の近くには、それらしき松の姿は見れないものの、「琵琶懸の松 由来の地」の石碑も置かれています。【タウン通信 円福寺(清瀬)記事引用】
圓福寺様・薬師堂では、今なお、信仰が受け継がれ、ここに生きていることが感じ取れます。
いいお寺様ですね!
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