弘安五(一二八二)年九月八日、日蓮聖人は、九年間、住みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かいました。しかし、途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主、池上宗仲公の館に立ち寄った際には、自らの入滅が近いことを悟ったといいます。生涯最後の日々のなかで、この地に建立された一宇を開堂供養し、「長栄山本門寺」と命名しました。その名には「法華経の道場として長く栄えるように」という深い祈りが込められています。同年、十月十三日、日蓮聖人は六十一歳で入滅されました。その後、池上氏は法華経の字数(六万九千三百八十四)に合わせて約七万坪の寺域を寄進して寺の礎を築き、以来、「池上本門寺」と呼びならわされています。池上本門寺は、日蓮聖人ご入滅の霊場として七百年あまり法灯を護り、伝え続けています。
相次ぐ自然災害や争乱で混乱を極めた鎌倉時代、日蓮聖人は、幾多の困難に見舞われながらも、強い信念のもと、お釈迦さまの教えをひろめました。比叡山をはじめ、薬師寺・高野山・仁和寺などで仏教の教えを深く学び、来世ではなく、今を生きることの大切さを説き、法華経への信仰にその生涯を捧げました。お釈迦さまの智慧と慈悲を宿らせた「妙法蓮華経」、その五文字に心から帰依することを表す「南無妙法蓮華経」のお題目を受け入れ、唱えることで、お釈迦さまの功徳を全て譲り受け、誰もが仏となることができると説かれたのです。また、日蓮聖人は孝養を大変重んじ、生母の髪の毛を入滅の時まで肌身離さず持っていたといいます。池上本門寺の御尊像は、左手に「内典の孝経」法華経第六巻を、右手には生母の髪の毛を差し入れた払子を持ち、日蓮聖人が体現した孝養の道を忘れることがないよう静かに私たちを見守っています。
七百余年の歴史と伝統に育まれたこの墓地には、紀州徳川家をはじめ、加藤清正、狩野探幽と多くの由緒ある家系の人々のお墓があり、ここに眠る著名人の枚挙にいとまがありません。時に栄華を極め、時に波乱に満ちた人生を生き抜いてきた人々の魂が、ここに終の安らぎを求め、静かに眠っています。緑豊かな小高い丘の上、静寂に包まれた墓地…。長い歴史の中で数々の困難を乗り越え、戦災からも力強く復興した池上本門寺で、大切に供養されてきた幾多の魂を想うとき、その深淵な静寂の中に、厚い信仰と導きを感じずにはいられません。
永代使用料450万円より
入檀奉納金
別途入檀寄付金100万円納入いただきます。
年間護持費12,000円+教誌「池上」年間購読料1,200円
〒146-8576 東京都大田区池上1-1-1